覚悟の磨き方 超訳 吉田松陰を読んでみて

覚悟の磨き方 超訳 吉田松陰
池田貴将(著)

吉田松陰という、幕末に生きた浪士。

彼が生前に残した言葉や、考え方を現代語に訳した詩集のような本になります。
ちょっと前に大河ドラマ「花燃ゆ」で一躍有名になりましたね。

目次

吉田松陰とは?

出典:https://www.photo-ac.com

以下の有名人たち、

明治維新に大きく貢献した人とか、

海外諸国から日本を守るために活動していた人たちとか、

維新後の政治を行っていた人などなど。

高杉晋作:奇兵隊創設 明治維新の立役者
久坂玄瑞:明治維新の立役者
入江九一:長州藩の参謀
桂小五郎(木戸孝允):明治維新に最も貢献した3人の一人

※残り2人は西郷隆盛と大久保利通

前原一誠:明治維新に貢献した10人の一人
伊藤博文:初代総理
品川弥二郎:内務大臣
野村靖:内務大臣
山縣有朋:第三代/第九代総理
山田顕義:國學院大學と日本大学の創設者
飯田俊徳:東海道本線敷設などに大きく貢献
渡辺蒿蔵(天野清三郎):三菱重工業長崎造船所 初代所長

実は全員、吉田松蔭という方の教え子だったんです。

吉田松陰は、山口県の田舎に松下村塾(しょうかそんじゅく)という塾をひらき、下級武士や農民など身分関係なく門下生を受け入れていました。
松下村塾に教科書はなく、まともな校舎すらもありませんでした。

そこで教科書は弟子といっしょに書き写し、校舎も弟子たちとの手作りで作った掘建て小屋みたいな感じです。

そんな田舎にある小さな塾出身の人で、これだけ成功者(歴史に名前が残る)が生まれるってだいぶ異常事態だと思います。

現代でわかりやすく例えるならば、

・安倍晋三(総理大臣)
・小泉純一郎(元総理大臣)
・橋下徹(元大阪知事)
・孫正義(SoftBank社長)
・柳井正(ユニクロ社長)
・稲盛和夫(京セラ社長)
・ホリエモン(実業家、投資家)
・前澤友作(ZOZO社長)

この人たちが全員同じ塾出身で、その塾は人口の少ない田舎にある小さな塾だったって言ったらビックリしますよね。

その塾は何を教えてたんだ!?って。
だいぶ異常事態です。笑

そもそも吉田松陰がどういう人物だったかというと、かなりぶっ飛んだ人でした。

幕末の鎖国真っ只中。

そこへ、ペリー提督が黒船で江戸へやってきました。

日本を開国させるため、黒船の大きな大砲で威嚇射撃を行い、幕府は完全に戦意喪失していました。

自分たちの常識をはるかに超えた文明が襲来してきた感じです。

日本はもうおしまいだ・・・という空気の中、西洋を追い抜いてやろうと意気込んでいる若者がいました。

吉田松陰 25歳。

兵法の専門家だった吉田松陰は、どうやって黒船に勝つか考えていました。

考えた末、刀ではどう戦っても絶対勝てない!

考え方を変えました。

今は勝てないが、外国の知識を勉強し、やがては肩を並べられるように学ばせてもらおう。

そこで、小舟で黒船に近づいて、丸腰で乗り込み、学ばせてくれ!と嘆願しました。

これがどれだけ異常な行動か。

現代で例えるならば、東京上空に巨大な宇宙船が突如現れ、空に向かってレーザービームの威嚇射撃を打ったら日本中どんな事になるか。

さらに、その宇宙船に丸腰で乗り込むってどれだけ異常な行動でしょう。

当時の事を、ペリー提督は日本遠征記にこんな風に残していたそうです。

「日本人の異常な覚悟や好奇心に驚いたこんな奴がいる日本の将来は明るいだろう」

その後の幕府との交渉に影響が出る事を考慮したためか、吉田松陰の密航は叶えられませんでした。

鎖国の中、国を出ようとする行為がどれくらいのレベルの犯罪かというと、死刑と言われてもおかしくないレベルです。

吉田松陰は後に、こう言い残しています。

「今ここで海を渡ることが禁じられているのは、たかが江戸の250年の常識に過ぎない。今回の事件は、日本の今後3000年の歴史に関わることだ。くだらない常識に縛られ、日本が沈むのを傍観することは我慢ならなかった。」

その事件によって、吉田松陰は捕えられ、牢獄に入れられました。

こんな情熱家である一方、かなりの勉強家でもありました。

旅をしながら本を読み、牢獄に入れられても読み続けました。

牢獄の中でも自身の影響力を発揮し、どんな人間からでも才能を見つけようと親身になりました。

仮釈放され、長州藩(山口県)の松下村という小さな村で塾を始めることとなる。

これが後に伝説となる松下村塾です。

吉田松陰の門下生に成功者が多い理由

吉田松陰の門下生が、なぜこんなに世の中で活躍できたのか?

それは、こんな風に語られています。

以下引用

松陰はなぜこんな教育ができたのだろうか。

松陰は「いかに生きるかという志さえ立たせることができれば、人生そのものが学問に変わり、あとは生徒が勝手に学んでくれる」と信じていた。

だから一人ひとりを弟子ではなく友人として扱い、お互いの目標について同じ目線で真剣に語り合い、入塾を希望する少年には「教える、というようなことはできませんが、ともに勉強しましょう」と話したという。
教育は、知識だけを伝えても意味はない。教える者の生き方が、学ぶ者を感化して、はじめてその成果が得られる。
そんな松陰の姿勢が、日本を変える人材を生んだ。

当時はアジア諸国がどんどん西洋に占領され、植民地化されていました。

日本は江戸という当時の三大市場の一つを所有していたために先進諸国からめちゃくちゃ狙われていたんです。

(江戸・パリ・ロンドン)

西洋の国の落とし方はこう、まず武器を提供して内乱を起こさせる。
内乱が起きて国が弱ったところを一気に落とす。
こんな感じでアジア一帯は滅ぼされていきました。

志をもった若者たちが生まれずに、明治維新が起きず、日本が植民地化されていたとしたら、標準語は日本語じゃなかったかもしれません。

そう考えると、吉田松陰がいなかったら今の日本はなかったと思います。

吉田松陰が残した言葉

吉田松陰の言葉が翻訳されたものをいくつか紹介させていただきます。

人に影響を与えられる人
他人への影響力は、自分への影響力に比例します。
他人の考え方を変えたいと思うならば、まず自分の考え方を変えてみることです。

時代に新しい風を吹かす
自分の信念を貫こうとすれば、どうしても「極端だ」と言われてしまうものです。
でもまわりから「極端だ」と言われるくらいじゃなければ、
この濁った世の中に、〝新しいもの〟なんて生み出せないでしょう。

知識と行動
知識は、過去のこと。
行動は、今これからのこと。
したがって、行動を起こす前には、まず知識を疑うこと

すぐに育つものはない
「人を育てなさい」ということは、
「一晩で別人のように変えなさい」ということではありません。
思いやりと一貫性のある正しい態度を、沐浴のようにじっくりと浴びせ、染みついていたものが自然と流れ落ちていくのを待ちましょう。
そして本人も気づかないうちに、悪いものから遠ざかり、良いものへと移っていく、その様子を近くで見守り続ける。
できることは、ただそれだけです。

人生は四季を巡る
もうすぐこの世を去るというのに、こんなにおだやかな気持ちでいられるのは、春夏秋冬、四季の移り変わりのことを考えていたからです。
春に種をまいて、夏に苗を植え、秋に刈り取り、冬がくれば貯蔵する。
春と夏にがんばった分、秋がくると農民は酒をつくって、なんなら甘酒なんかもつくって、収穫を祝い、どの村でも歓喜の声があふれます。
収穫期がやってきて、きつい仕事がようやく終わった。
そんなときに、悲しむ人なんていないでしょう。
私は三〇歳で人生を終えようとしています。
いまだ、なにひとつできたことはありません。
このまま死ぬのは惜しいです。
がんばって働いたけれど、なにも花を咲かせず、実をつけなかった。
ですが、私自身のことを考えれば、やっぱり実りを迎える時期がきたと思うんです。
農業は一年で一回りしますが、人の寿命というものは決まっていません。
その人にふさわしい春夏秋冬みたいなものが、あるような気がするんです。
百歳で死ぬ人は百歳なりの四季が、三〇歳で死ぬ人は三〇歳なりの四季があるということ。
つまり、三〇歳を短すぎるというなら、夏の蟬と比べて、ご神木は寿命が長すぎるというのと似たようなものじゃないかと思います。
私は三〇歳で、四季を終えました。私の実りが熟れた実なのか、モミガラなのかはわかりません。
ですがもしあなたたちの中に、私のささやかな志を受け継いでやろうという気概のある方がいたら、これほどうれしいことはありません。
いつか皆で収穫を祝いましょう。
その光景を夢に見ながら、私はもういくことにします。

「覚悟の磨き方 超訳 吉田松陰」

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